Mukwano Member Blogムクワノとは、ウガンダのラカイ地区に孤児院、及び職業訓練所を設立・運営しながら親を失った子供たちをサポート、世の中に働きかけていくグループです。

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太陽光発電 03:40
ウガンダに到着し、まず初めに取りかかったことは、ソーラーシステム導入にあたり、パネルやバッテリーなどの購入並びに、取り付けエンジニアを探すこと。ソーラーパネルを売るお店は、カンパラには沢山、ラカイにも数カ所あるため、その中から選ばなくてはならない。ウガンダ到着前より、現地の日本人、ウガンダ人に聞き込みをし、現地到着後ウガンダ人の友人に手伝ってもらいながら、目ぼしをつけていたお店を廻る。
 その中からとても丁寧に説明をしてくれ、価格もそれなりにリーズナブルな(もっとも、最初はものすごい値段だったが、友人と一緒にnegotiationをし続け、納得する価格までもってきて)そして、保証期間が多少なり定められている所に決めた。
 
 ここで紹介してもらったHenryは、売れっ子のエンジニア。彼は、Secondary schoolを卒業後、3年間電気や木工の勉強をし、その後6年電気の配線業やソーラーパネルの取り付けなどの仕事をしている。
 周囲の評判同様、彼自身も自分の技術に誇りを持っていて「僕は仕事で失敗したことがない。だから、毎日が仕事だよ。休暇なんてないよ」と得意げに話す。

 早速HenryにSAMANYAの丘に来てもらい、子どもたちが生活をしているHOMEと教育棟を案内。「7棟かあ、2、3日で終わらせる」と満面の笑み。これまでの経験から、じゃあきっと1週間以上はかかるだろうと思っていた私。最初はそう思った。でも、彼の働きぶりを数時間見て自分の考えていたことを反省した。(Henryごめんなさい。勝手にそう思い込んでしまい。。)

 スピーディーなのだ。作業が。そして働いている間も、彼の携帯電話には続々と仕事の依頼が入ってきている。大人気の理由が分かる気がした。「早くカンパラに帰り、次の仕事をしなきゃならない」と言い、彼は初日の夜はほとんど寝ずに作業を続けていた。
 2日目が過ぎる頃、配線に使うワイヤーが思いの外長く必要で足りなくなってしまい、Henryが他の仕事をしている間、ウガンダ人スタッフと私で1時間ほど車で走ったLyantondeまでワイヤーの買い出しへ行った。
 しかしどのお店も、欲しい長さ分在庫がなく、最終的にはLyantondeの3つの電気屋で在庫分のワイヤーを買い、それらをつなげて使用することに。

 2つ目の深夜、Girl's roomに初めて灯りが灯る。子どもたちからわーっと歓声が上がる。そしてエンジニアのHenryへ拍手喝采。Henryの作業中、食い入るようにその姿を観察していたのは、男の子たち。だから、いつもはGirl's roomには男の子は入れないのだが、この時だけは先生が特別許可を出し、男の子たちは常にHenryの後にくっついて動いていた。Henryが屋根の中に隠れて作業をしているときも、部屋の中から「あ、今この上だ!」「あ、こっちに動いた」と1つ1つコメントが飛び交う。

 Henryの言葉通り、作業開始から3日目の夕方、7棟すべて(部屋の中、外)に灯りが灯ることが確認され、ソーラーシステムの取り付けは無事完了した。
light    
 今回の取り付けにあたっては、最低限の灯りの供給にし、1枚のパネルを屋根に取り付けた。夜は暗闇と(月が出る日は)月明かりで生活をしてきた子どもたち。夜になり、陽が沈めば月が出ていても、部屋の中は真っ暗になり、当然のように出来ることは限られ、夜8時前にはベッドに入っていた。

 日中の太陽が、夜にも光を届けてくれることになり、治安の強化にもつながる。それとこれは全く予想していなかったことなのだが、夜灯りが灯ったことにより、先生の1人が自主的に勉強したいという子どもたちを集め、補講を始めた。(自主的ということがポイント)寝たい子どもは寝るし、自習したい子は部屋で今日勉強したノートを振り返っている。

 このSAMANYAの丘では、太陽が顔を出す日は多い。電気が来ることによって、子どもたちの可能性が伸びる機会も増える。職業訓練の幅も、確実に増える。子どもたちの成長を見守りながら、ゆっくりと現地スタッフとともに色々な可能性を考えていきたい。

                    永谷 裕香

henry

   
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HOMEから届いた写真 20:31
  

去年11月頃にHOMEに蒔いたとうもろこしがにょきにょき育ちました。
 写真の男の子カブゴ フルエジは、昨日の夜ご飯の残りのとうもろこしと眠り、朝こっそりブランケットの中で食べていました。どの子も、ベッドで寝るのは初めて、そして何かに包まれて眠ることが初めてだと言って喜んでいます。

 

 (ホープ(4歳)の体を洗うベノン)
 HOMEに入居はしていませんが、お父さんは亡くなり、お母さんと子どもたちで住んでいます。お父さん、お母さんはルワンダ内戦の勃発前に、ウガンダへ逃げてきました。お父さんは亡くなり、バナナの繊維で出来た家で、お母さんが農業で得たわずかのお金で一生懸命生計を立てています。
 
 
  (家の前でベノン)
 ベノンは小さい頃に脳マラリアにかかり、その副作用で、癲癇をもっています。1か月に1度は必ず発作が起き、右手が曲がったままで、左手を使って生活をしています。癲癇と脳の障害のために、学校へは行ったことがありませんでしたが、病院の先生や学校の先生たちと相談をし、今MUKWANO HOME併設の学校にやってきています。お母さんは、「ベノンは学校に行っても無理です。脳が麻痺して勉強できないから」と言っていましたが、英語の授業を熱心に聞いているようで、「Thank you」「Im fine」が言えるようになっていました。

   
 MUKWANO HOMEでは、入居している31人の子どもたち以外にも、基礎教育の場を広げるべく、門戸を開放しています。


 
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Christmas in Rakai 20:56
2007年クリスマスの写真がウガンダより届きました。このHOME近辺にはインターネットカフェがないので、メールのやりとりは少々時期がずれて行われます。ご了承ください。

 去年のクリスマスには63人の子ども達(HOMEに寝泊まりしている子と、近隣の村に住む遺児)がSAMANYAの丘へと集まりました。朝ポレッジ(日本のおかゆのような飲み物)を飲んだ後、近くの教会へ行きクリスマスのお祈りをしました。

 その後SAMANYAへ戻り、昼ごはん(キャッサバとドードという草のスープ)を食べました。その後皆でダンスを踊ったりドラムを叩いたりして盛り上がったとのことです。これらの写真は、スタッフのTugumeが撮ったもの。今Tugumeはパソコンを少しずつ勉強しています。

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竣工式 00:31
 本年2007年は、1982年のアフリカ・ウガンダ共和国ラカイ県で初めてエイズが発見されて以来、四半世紀を迎えます。その間、多くの人々がエイズで命を落とし、その結果、多くの遺児が生まれました。ウガンダでは200万のエイズ遺児がいます(ウガンダ国家エイズ委員会推計)。

 エイズ遺児を支援するNPO・MUKWANO(2007年10月東京都認証)は、2006年4月1日よりボランティアグループとして活動を始めました。世界的課題であるHIV/エイズ問題に目を向け、特に子どもに焦点を絞り、2007年5月、ラカイ県ルワマグワ郡において、エイズ遺児のための孤児院・職業訓練所の建設を開始し、工事は順調に進み、先日無事終了した次第です。2棟の孤児院、3棟の教育施設を含めた7棟の建物で形成されるこれらの建物は、「MUKWANO HOME」と呼ばれます。

 そして、2007年12月1日(土)の世界エイズデーに、孤児院・職業訓練所の竣工式を執り行います。竣工式に関しては、もともとささやかなものを予定していましたが、当日にラカイ県で、エイズデー公式式典を予定していることを現地のvolunteerが聞き、急きょサマニャの丘で同時開催しようという案が急浮上。

 よって12月1日は、MUKWANO HOMEの竣工式と、ラカイ県の公式式典がサマニャの丘の、完成した孤児院の前で行われます。

 子どもたちの他、中央政府関係者をはじめ、ラカイ県県知事、県庁職員、NGOs/CBOs関係者など多数の皆さんが参加予定です。
 MUKWANOメンバーの前田と私も、月末からウガンダに行ってきます。

 MUKWANO HOME建設にあたってご支援下さった皆様、本当にありがとうございました。私1人の力では何も出来ず、本当に多くの方のお力があって完成しました。重ね重ね感謝致します。これからもエイズ遺児の人権と生活の安全が守られる社会の実現、そして世界的な課題となっているエイズの啓蒙活動を続ける所存です。今後ともご支援の程宜しくお願い申し上げます。
 建設工事費の内訳に関しては、後日MUKWANOのホームページでアップさせていただきます。

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ウガンダより? 23:04
1年ぶりにウガンダに来ています。

8月後半の日本の厳しい残暑とは打って変わって、こちらは湿度も低く、過ごしやすい陽気が続いています。ウガンダ到着早々、ラカイを始め、ウガンダの南西部にいました。久しぶりのカンパラ(首都)です。


 ラカイの孤児院・教育施設の建設も概ね順調に進んでいます。水の確保が困難な点を除けば・・・ですが。雨季だというのに、ラカイではなかなか雨が降らず、工事のために作った貯水庫もカラカラになってしまっています。
 

 そんな中第2期工事が完了し、すでに屋根のついた建物で、子ども達は勉強をしていました。そして、中央にある木の周りで、朝礼が開かれています。夜、サマニャの丘から眺めた空には、大きな月とこぼれんばかりの満天の星が溢れていました。
 
 あさってから又ラカイに行ってきます。第3期工事の始まりです。
また報告します。
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Namuwange 01:10
現地からの連絡で、現在14歳の少女Namuwangeが何者かに連れていかれたことを聞く。Namuwangeは、私が去年9月にウガンダを訪問した際に知り合った少女だ。当時は13歳。一家の長として3人の弟の面倒を見ていた。自分がHIVポジティブであること、お父さんお母さんが亡くなった経緯、自分の夢などについて、初めて会う私に色々聞かせてくれた。
 そんなNamuwangeが行方不明になったのは、約1週間前。残された弟たちの話によれば、ある男性が突然家にやってきて「学校に連れていってやる。急いで身支度をしろ・・」と誘われていたとのこと。サマニャの現地ボランティアスタッフが、周囲に聞き込み捜査をした所、彼女を家政婦などとして働かせるために、どこかへ連れていったのではないか・・と。
 残された弟達は、突然頼りにしていたお姉ちゃんを失い、動揺している様子という。現在は、近所の大人とサマニャのボランティアが定期的に彼らの面倒を見ているが、Namuwangeは一体今どこへ・・・。
 
 兄弟寄り添うように生きていた4人。幼い子どもたちの不安を痛切に感じる。そしてNamuwangeがどこへ行ってしまったのか、心配でならない。
 子どもは、自分の安全を守る術を知らない。特に子どもだけで住んでいる家の子どもたちは、今日生きるために必死だから、少しの大人の誘惑でもすぐに飛び込んでいってしまう。「学校に行かせてやる。お金をあげる」・・そんな言葉について行ってしまうのは、子どもたちが置かれている環境を考えれば当然だ。だからこそ、きちんとした大人の加護が必要だ。

 サマニャの孤児院の早期完成の必要性を感じる。
AIDSは親を奪うだけではない。子どもたちは常に危険と隣りあわせだ。
 Namuwangeが必ず無事戻ってきますように・・。皆の祈りが届きますように。
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ラカイのエイズ感染率 19:01
 ウガンダに住む知人から、11月10日付けのウガンダの新聞「モニター」誌の記事を送ってもらった。この記事では、ウガンダのラカイ県のHIV/AIDSの感染率が依然として高いということを記している。
生きるための、生活費を稼ぐための女性の「売春」が蔓延しているから・・・。ラカイ県は、タンザニアとの国境に接し、ウガンダとタンザニアを結ぶ幹線道路がこのラカイ地域を貫通している。このため、タンザニアやケニアからやって来るトラックがここを通過。このトラックドライバーとの売春が女性たちの仕事になっているのだ。この国境近くでは、エイズの感染率は現在も30%にも昇るという。ラカイの他の各街でも、24%近くに達していることが報告された。
 ウガンダでは、国内のエイズ感染率が平均約6%という発表を出している中での、このラカイ県の報告。この統計が一体何を物語っているか。この統計は、エイズ孤児の問題にも大きく付随している。
 9月にウガンダを訪問した際、このラカイの都市で2人の売春婦に話を聞いた。1人は20歳。もう1人は10代の女の子。彼らは貧困から学校を途中で辞め、エイズに関する知識も、「自分の身を守る」術も持ち合わせていなかった。コンドームの存在は、売春宿を経営するおばさんから教えてもらったという。
 ウガンダの国があげて取り組んでいるエイズ対策も、ラカイの田舎にはまだ届いていない実態がある。1990年代初頭に30%だった成人のエイズ感染率は国内平均6%台に減少し、アフリカではエイズ感染率を下げた成功国として賞賛されているウガンダだが、国内での都市と田舎のエイズ感染率の格差を前に、果たして一様に「成功国」と呼べるだろうか。
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ウガンダ日記 by Yuka 14:28
ラカイ・子供だけで住んでいる家へ。

Namuwange13歳は、一家の大黒柱として生活をしている。
他の4人の弟/妹と一緒に、5人暮らし。お父さんとお母さんはエイズで死んだ。両親が残してくれたものは「土とわらで出来た家と、家の中に無造作に置かれた木のベッド」。そのベッドを大切そうに眺めながら、「このベットの上に、皆で寝ているの」と彼女は教えてくれた。

マトッレスはなく、ベッドから所々に木が突き出ていて、その上にバナナの繊維と1枚の薄汚れたシーツが置かれている。

 子供だけの家

 ベッド

 毎日食事は食べられない。「近くの人に食べ物をもらってくる」と言う彼女。弟たちは、4・5歳というが、その小さな体にボロボロの服、そして膨れ上がったお腹が目立つ。

水汲みに行く場所へ案内されると、そこは大きな湖。この湖までは、家から約6キロ以上。子供たちの足だと、片道1時間以上は優にかかる。着いた先の湖は、ここ最近雨が降っていないために、すっかり枯渇してしまっていた。どうするんだろう・・・

湖の横に小さく出来た水溜り。牛たち数頭がこの水のみ場で、水を飲んでいた。私に飛び込んできた風景は、私の脳裏に鮮烈に焼きついて、その後離れることがなかった。それは、この牛たちに遠慮するかのように、牛の横にしゃがみこんで、水を汲む兄弟たちの姿だった。牛が飲む水は茶色く濁っていて、見た目からその汚さが分かる。

その濁った水、Namuwangeは「飲んだり、料理に使ったりする」と言う。いくら沸騰させているとはいえ(最も、どの程度沸騰させているかは分からないが)、この水どこまで濾過されるのだろうか・・。水汲みを終えた帰り道、小さな子供たちが抱えるタンクは、彼らが少しよろければ、水はちょろちょろこぼれていく。

 家の前で、「私もHIV ポジティブなの。他の兄弟も皆そう」と、彼女に寄り添う兄弟たちを見ながら彼女は言った。病院が遠いから、当然治療薬(注:ウガンダでは、ARVの治療薬を無料配布しているクリニックもある)はもらっていない。

まだまだ一緒にいたかったであろうお父さんとお母さんを亡くし、自らも兄弟も皆HIVに感染していることを知っている少女。彼女の境遇には、私の想像すら及ばない様々な苦労があるだろう。生計を得るためと、彼女が一生懸命に籠を作っている姿を見て、彼女の強さを垣間見た。エイズはsilent war(音のない戦争)としばしば引用されるが、彼女はまさに1人でこの戦いと闘っているのだ。

 現在サマニャは、Rakai District, Lwamaggwa Sub-county, Kiweeka Parish, Lubimba Village にある。上記の子供だけで住んでいる家には不定期に訪問し、クラフト作りを教えたりしているが、援助の手は資金不足からほとんど行き届いていないといえる。

子供
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ウガンダ日記? by Yuka 13:21
?ラカイへ。
 首都のカンパラから、車で約4時間半以上南西へ進むと、(道路が空いていて、雨が降っていなければ、又ドライバー次第で、約3時間で到着の時も・・・)ラカイ県がある。このラカイ県は、アフリカ大陸のエイズの発祥地と言われている。緑の生い茂った山々は、ラカイに入ると一気に茶色のはげ山へと変わった。ラカイは今年の雨不足で干ばつに見舞われ、バナナ畑が枯れ果ててしまった。例年に比べると、今年は降雨量が非常に少ないという。目指す先は、私たちムクワノが孤児院と職業訓練所の建設・運営を考えているサマニャ孤児院がある丘。サマニャは現地語で、「見捨てられた丘」を意味する。サマニャは、高台にあり約9ヘクタールの広大な丘にある。2001年に、サマニャのリーダーであるセンキマさんが孤児院と職業訓練所をスタートさせた。活動はこの丘の側にいた12人の孤児に、食料を支援したり、エイズ教育をしたりすることから始まった。トタンと木で出来た簡単な建物を作り、その中でセンキマさんの奥さんが持っていたミシンを持ってきては、奥さんを初めとした地域の大人(ボランティア)が、ここへやってきて子供たちへ「洋裁」を教える。その思いは、「親を失った子供たちが、少しでも自立できるように。又人間らしい生活を送れるように」だという。
 彼らは、私たちの支援を待っているだけではなかった。2005年10月に、このサマニャを後にしてから、この1年の間に「ミシンがもう1台増え(計2台)、水を貯蓄するタンクを作り、トイレを約8メートルまで(以前は2−3メートルだった)掘っていた」。これは予想することなかった嬉しい出来事だった。(これらの資金に関しては、地域の教会の主やコミュニティー、来訪者の寄付と、センキマさんが畑仕事で得たお金で出来たもの)。
と同時に、小学校入学前の子供たちを対象にしたナーサリースクール(幼稚園)のようなものを始めたそうな・・。約178人の子供たちが、今このサマニャに月曜から金曜日までの午前中、通っているのだという。親がいる家庭の子供たちからは、学期ごとの学費3000ウガンダシリング(日本円で約220円)。センキマさん、サマニャのリーダーであるにも関わらず、幼稚園のプログラムについて把握せず・・。地域のボランティアに幼稚園のプログラムに関しては、お任せしてしまっている状況。これも予想外のことで、リーダーであるセンキマさんには「全てを把握しておくべき」と伝えた。
 そしてラカイのサマニャと日本のムクワノが協力体制をとる以上、全ての情報は共有化が必須だ。サマニャの皆からは、「戻ってきてくれたんだね」と非常に喜ばれたが、「本当に再度ここに来てくれるとは、思ってもみなかった」とも・・・。彼らラカイの人たちからは、私たち(たけちよくん、私)が今この丘にいて、ウガンダ人、日本人で今後のことを話し合っている状況が、想像もしていなかったことだったようだ。「日本で出来たムクワノは、サマニャとの出会いから始まり、今や大勢の人のサポートで成り立っている。少しずつではあるが、子供たちの環境が良くなるよう手を取り合いましょう」と伝え、お互いの意思が確認された。2007年度この丘に「孤児院&職業訓練所」建設の着工へ・・。

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ラカイで目にしたバナナ畑

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現在のサマニャ孤児院と教育施設

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サマニャの内部
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ウガンダ日記? by Yuka 00:32
羽田→関空→ドバイ→エチオピア(アジズアベバ)を経由してウガンダ(エンテベ)に行ってきました。短期の滞在でしたが、少しずつ日記と報告をアップします。

?ウガンダ・ナンサナ村にて・・・。
吐く息が白い。ひんやりとした空気の中、ウガンダの夜が明ける。ウガンダの朝は早い。朝4時に起きて、マーケットに行く準備をする女性たち。学校へ行く前に、チャパティーやマンダジ(揚げパン)を作り生活費を稼ぐ子供。ウガンダでは、目にする光景だ。
私のウガンダの家族・村長宅でも、子供たちは学校へ行く前に、前日の夕食で使った皿洗いに、調理器具の片付けと朝から大忙し。お手伝いが終われば、朝食は食べずに、学校へ足早に向かう。学校が休暇の前日の夜は、午前2時過ぎまで歌を歌ったり、ダンスをしたり、「学校」や「恋愛」についておしゃべりしたり、勉強したり・・・。10数人いる子供たちは、思い思いに楽しく過ごす。1人が真剣に勉強をしているすぐ横で、1人は陽気に歌っている姿も・・・。1部屋(約4畳半)に何人もの子供たちが一緒に生活をしているのだから、当然といえば当然なのだが、約10ヶ月ぶりにウガンダを訪れた私には、全てが懐かしかった。
 そして休日の朝は、7時にもなれば、畑へゴー。私が滞在していたある日も、8人の子供たちに誘われ、さつまいもを掘りに行く。今日の収穫物は、その日の夕飯の食卓に並ぶのだ。「そんなに遠くないから、行こう」と言われて向かった畑は徒歩30分から40分もかかる。早朝の気温とは打って変わって、急に太陽が照りつけ、畑に着く頃には汗だらけ。
そこで、約2時間さつまいも掘りに没頭する。前日の短い睡眠の中で、子供たちは朝から元気一杯。「疲れたでしょ?」と尋ねても「いいや、楽しいよー!!」と返事が返ってくる。私はさつまいも、5個掘っただけでどっと疲労。翌日筋肉痛に。

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